模造人間
――僕がそれを知ったのは、父が死んだ次の日の夜でした。
  春。新しい季節の始まりとなるとき。そんな一日であるはずのその日に、父はこの世を去った。 
      夜の闇に映える桜。それからぶら下がっている父。すでに血の気を失った父を初めて見た時、僕は恐ろしさよりもその構図の美しさにしばし見とれてしまった。本来なら、決してそうは思えないはずであるのに。 
        「どうしたの?」 
          いつのまにか後ろに立っていた母の声が僕を現実へと引き戻す。 
        「…母さん。父さんが……」 
          最後まで言わずとも、僕の方を向いていればすぐに見えただろう。体中の穴という穴から体液を流し、それでもなお絵画のような美しさを保っている父の姿が。 
          僕は振り返ることができなかった。悲しむことをしない自分の反応がおかしくて、母親に見せられないと思ったこともある。が、一番の原因は……自分の母親が泣くところはあまり見たくなかったからだった。 
          けれどそんな想像とは裏腹に母は冷静だった。ひょっとしたらそうではないのかもしれない。けれど、僕の目には冷静に見えた。 
          しばらくの沈黙。 
        「早く、救急車を呼んでらっしゃい」 
        そう言った母の目には、心なしか表情が無かった。
          翌日、父の通夜は行われた。僕も母も、一滴の涙も流さなかったと思う。最近の父の様子からすれば、この状態は十分に考えられることだったから。 
        明らかに父の心は弱っていた。気がつけばその顔は青白く痩せこけはじめ、いつも何かに追いつめられていたかのようだった。その何かは僕にはわからない。母に聞けばわかったかもしれないが、それはしなかった。
          そしてその夜。僕は父の本棚を整頓するために書斎に居た。母がそれを望み、僕に頼んだからだ。 
        正直、死んでしまった人の部屋に入るのは気味が悪い。それが肉親であればなおさらだ。ただ、母が父の思い出が詰まっているこの部屋を早く片付けてしまいたいと思うのもわかっていたのだ。
  学者であった父の本棚には、それこそ東西南北様々な地方の本が詰まっていた。赤・黒・茶・黄……本の背表紙にも色々ある。その中で、僕は一冊の本を見つけた。 
          何故あれだけの本がある中で、その一冊だけに惹かれたのかは自分でもわからない。父が本棚の奥に隠していたからだろうか。ひょっとしたら、表紙に染められた深い海の蒼に魅せられたのかもしれない。とにかく、僕は整頓もそっちのけで本を手にしていた。 
          本のタイトルには金色の文字で 
        「 Replicant 」 
          とあった。中は英語やフランス語、ドイツ語など複数の言語で書かれているみたいで、ところどころに怪しげな化学式や実験器具のような物が描いてあった。 
          ……Replicant. 多分、日本語に直すなら『模造人間』といったところだろう。一種のクローンらしい。ただクローンと違うのは、その本体と同じ姿で生まれてくることだ。生身のロボットと言ってもいいかもしれない。 
        とにかく、僕は興味を持った。
その夜から、僕の本棚の奥に一冊の本が隠されることになった。
◇ ◇ ◇ ◇
――僕が彼女に出会ったのは二年前の夏でした。
          あの本を手に入れてからの僕は、それまでの友人が驚くほど勉学に励んでいた。ただ、あの本を全部理解してみたい。そのためには多岐に渡る知識を持っていなければいけない。それが、僕の原動力になっていた。 
        そうして僕は十八になり、大学へ進学した。 
   僕は大学に進学しても変わらなかった。勉強して知識を増やし、あの本の解読を進める。そんな日々を過ごしていた。 
        ……あの夏の日まで。 
   ある日、僕が実験棟で実験をしていた時。同じ研究室の人間が話しかけてきた。 
          白状してしまえば、大学に入ってからの僕は人付き合いと言うものをほとんどしていなかった。だから、話しかけてきた人物の名前さえ知らなかった。彼女は、有名な人であったにも関わらず。 
        「いつも、熱心なのね」 
          綺麗な声だと思った。 
        「偉いよね、真面目で。大学来たら遊ぶ人が多いのに」 
          そんなことを言われたのは初めてだった。 
        「私の名前、知ってる?」 
          知らないのが悔しかった。 
        「同じ研究室にいるんだから、覚えてくれると嬉しいな」 
        多分忘れないと思った。
   僕が彼女について知ったのはそれからしばらくたってからだった。あの人柄と容姿で性別を問わずに人気があり、しかもそれを鼻にもかけず、派手な様子は見られなかった。 
          僕の心を占めた深い蒼の中に小さな白が入ってきた。気がつけば彼女と話すようになり、次第に研究室で彼女を探すようになった。 
          まだ、自分が彼女をどう思っているのかはっきりとわからなかった。けれど、既に心の中は大半が白に染められていて、蒼は申し訳なさそうに片隅にいた。 
          そしてある日、僕はようやく自分の彼女に対する想いを自覚することになった。 
          彼女に恋人ができたのだ。 
          考えてみれば、ごく当然のことだった。けれど、僕はその事実が認められなかった。気にかけていたから、話しかけてくれたのではないか。そんな風にばかり思っていた。 
        結局僕は変わりかけた自分を捨て、元の自分に戻ることになった。知識の探求にあけくれ、実験にふけり……そしてまた、僕の心は深い蒼に染まった。……白が抜けきることもなかったけれど。 
◇ ◇ ◇ ◇
――僕がそれと出会ったのは、1年前の秋でした。
          そのうちに僕は、あの本をきちんと読めるまでになっていた。また、実験室がいつ誰に使われるのかも把握できるようになった。それら二つが意味することは、僕が模造人間を作ることができるようになったということだ。 
          模造人間の実験。誰の模造人間を作るかと思ったとき、最初に頭に浮かんだのは、あの夏の日に話しかけてくれた彼女の姿だった。 
        まだ僕は彼女を忘れ去ることはできなかった。思えば、勉強ばかりしすぎたために心の方が成長しきれていなかったのだろう。けれど、僕は彼女以外に思いつかなかった。 
実験は成功した。水槽の中にもう一人の彼女が浮かんでいる。そして彼女は目を開き、僕を見つめてあの綺麗な声で僕の名を呼んだ。僕はそれに答える。こうして、僕は自分だけの彼女を手に入れることに成功した。
それから半年くらい、僕は幸せだった。数年前から僕の心を占めていたあの深い蒼の本を解読し、その実験を成功させた。そして、自分だけの愛する人を手に入れた。これが幸せでないならなんなのか、とまで思っていた。
   僕の彼女はいつもマンションで僕を待っていてくれる。僕が帰ってくるとまず飛びついてくる。……幸せだった。 
          大学に行くと、『本物』の彼女がその恋人と歩いているのを目にするようになった。彼女は僕を見ると、照れくさそうに笑って恋人を紹介した。その動作は、しぐさは、僕の彼女とは違っていた。 
        心の中に、ひずみが生まれたのを感じた。 
   そして僕がまたマンションに帰ると、僕の彼女は飛びついてくる。甘えてくる。僕の研究の話をしても、つまらなそうに首をひねる。 
          研究室で彼女に会う。次の実験でどういうことをやるか打ち合わせをする。何を証明するためにその実験をやるのか、それがどういう結果を出せば成功ということができるのか。そういうことばかり話していた。 
          もちろん、彼女は僕に飛びついたり甘えたりはしなかった。 
        ひずみは大きくなった。 
  マンションに帰る。飛びついてきた僕の彼女をはねのける。 
          大学で彼女に会う。実験のことばかりでなく、世間話をしてみる。充実した時間を過ごしたと感じる。 
        もう、ひずみをひずみだと感じなくなった。 
  マンションに行く。普段と違った顔の彼女がいる。 
        「私は、駄目ですか?」 
          そう聞いてくる。無言で過ごす。 
        大学に戻る。彼女と恋人が歩いているのを見て、心の中が空っぽになるのを感じる。 
  マンションへ行く。僕の彼女だった模造人間は居なくなっていた。 
        大学へ戻る。彼女は来ていなかった。 
◇ ◇ ◇ ◇
――そして僕がそれを壊したのは、この前の冬でした。
まだ、彼女は大学に来ていなかった。彼女の恋人も行方を知らないようだった。
  マンションの中に、模造人間がいた。片手に、彼女の頭を持って。 
        「……これで、私は貴方に見てもらえますか?」 
          目の前が赤くなった。自分でも驚くほど早く身体が動いて、彼女の頭を模造人間から奪った。……既に、彼女の息はなかった。 
        「私は、貴方を愛しています。この女なんかよりも」 
          何か人の形をしたモノが自分によりかかった。音は、何も聞こえなかった。振り返る。そのモノを殴りつける。何度も。 
        「うっ……」 
          突然耳に入った、音。その音で我に返る。 
        手の中には彼女の頭があった。目の前には血に染まった彼女の身体があった。……自分の手は、彼女の血で赤かった。 
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ…………」
◇ ◇ ◇ ◇
「ニュースをお知らせいたします。昨日、○○市内のマンションで、男性が飛び降り自殺をしました。警察の調べによると、この男性の部屋から頭がない女性の遺体が発見されたということで、警察側はこの男性が女性を殺害して……」 
          プチッ 
          それまでニュースを写していたTVが一転して黒い画面になる。その前の椅子に、一人の女性が座っている。 
        彼の母親だった。やっぱりその顔に悲しみは見られない。 
  ピンポーーーン 
          人が来た。 
        「あの……、私……」 
          彼の、彼女。 
        「……あら、貴方……」 
        『母親』がにこりと笑う。 
「私と、同じなのね」 
        (終幕) 
      
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